こんにちは。セントです。
今回は、香港のデモが何故起きているのかについて詳しく解説していこうと思います。
知り合いとこの件に対して話していると、
「香港は大丈夫ですか?」とか、
「デモが凄いんでしょう?」とか、
連絡をもらい本当に嬉しいことなんですが、デモがなぜ起きているか全くわからない人が凄く多かったので、この件に関して絶対にみんなに知って欲しいと思ったので解説していこうと思います。
この記事を読むメリット
- 香港のデモの現状がわかる
- 一国二制度についてわかる
- 民主化について
- 香港人、中国人の意識調査
香港のデモの現状
6月9日、正式に発表された抗議活動の参加者は103万人。
6月28日、主催者発表で200万人。
現在の香港の人口がおよそ750万人だから、単純に3分の1の人が参加しました。政治に対して不満を持っている人が凄く多いと言うことですね。
一般市民が立法会(香港議会)や主要道路をふさぎ、抗議デモを行っている。
警察は市民のデモに対して、催涙ガスやゴム弾で対応している。
この抗議活動は表面上は、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対するものです。
しかし、この言葉だけでは片付けられない理由がある。
香港は特別な場所
ここで1度、香港が他の中国の都市と大きく違う場所だということだと言うことを確認しておきましょう。
これを理解するには、歴史を振り返る必要がありますね。
香港返還
香港はかつて、150年以上にわたってイギリスの植民地でした。
香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となって、その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借しました。それからの香港は、活気ある貿易港となり、1950年代には製造業のハブとして経済成長を遂げたんです。
さらに、中国本土の政局不安や貧困、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住むようになりました。
99年の返還期限が迫った1980年代前半、イギリスと中国政府は香港の将来について協議を始める。中国の共産党政府は、返還後の香港は中国の法律に従うべきだと主張した。
両国は1984年に、「一国二制度」の下に香港が1997年に中国に返還することで合意した。香港は中国の一部になるものの、返還から50年は「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」ことになった。
ここなんです。50年間は中国の一部になるけど、返還されたときの香港を維持しますよーっていう約束なんです。
返還後の香港は香港特別行政区となり、独自の法制度や国境を持つほか、表現の自由などの権利も保障されている。
1989年の天安門事件について市民が追悼できる数少ない場所となっている。
一国二制度のゆがみ
香港には、いまも中国本土にはない自由がありますが、人権団体は、高等法院が民主派議員の議員資格を剥奪(はくだつ)したなどの事例を挙げ、中国政府が香港の自治に介入していると批判しています。
香港の議員になると、初日に宣誓をするんですが、その場で中国を批判するコメントをして宣誓をしなかった、議員の資格を剥奪した事件があったんです。(複数人)
香港の書店員が次々と姿を消した事件(共産党批判などの本を売っていた)や、ある富豪が中国本土で拘束されている(反共産党思考)ことが分かった事件なども懸念を呼んでいる。
英経済紙フィナンシャル・タイムズの記者が香港独立を目指す活動家を招いたイベントを司会をしたところ、香港への入国を拒否されたなんてこともありました。
もうひとつの問題
香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される。この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成も中国政府寄りばかりなんです。
香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」では、行政長官は究極的にはこれよりも民主的な方法で選ばれるべきだとしているが、もっと民主的な方法とはどうあるべきかについては、様々な意見がありますね。
中国政府は2014年、親中的な選挙委員会が選んだ候補者の中から有権者が行政長官を選ぶ案を発表したが、「見せかけの民主主義」だという批判が集まり、議会で却下された経緯がある。
親中的な人しかいなかったら、誰を選んでも中国寄りになっちゃいますもんねww
基本法の期限が切れるのは2047年。
それ以降に香港の自治がどうなるのかはまだまだ不透明です。。。
香港人は自分たちを中国人とは思っていない?
香港に住む人の大半はもともと中国人で、香港は中国の一部ですが、香港人の大半は自分たちを中国人とは思っていないみたいです。
香港人に中国人って言うと嫌な顔をする人は、今までたくさん見てきました。
香港大学が行った調査によると、ほとんどの人が自分は「香港人」だと考えており、自分は「中国人」だという人はわずか15%だったそうです。
この差は世代が若くなるほど大きくなる。2017年の調査では、18~29歳の回答者うち自分は中国人だと答えたのはたった3%でした。
なぜ中国人だと思わないのかという質問には、
自分たちは法的にも、社会的にも、文化的にも違う
香港は150年もの間、中国とは切り離された植民地だった
などの回答がありました。
香港での中国本土からの観光客
さらに、近年では中国本土に対する反感が高まっている。
失礼な中国人観光客が地元のルールを無視したり、観光客の増加で物価などが上昇したことへの反発です。
中国からの独立を訴える若い活動家もおり、これが中国政府を警戒させているようですね。
周庭(アグネス・チョウ)22歳大学生にして今回の、デモのリーダー的存在。
2014年も17歳にして、「雨傘運動」を指揮した一人。
今回の抗議デモの参加者は、逃亡犯条例の改正案が通ってしまえば、中国政府による香港統治が迫ると考えている。
2019年8月30日、逃亡犯条例改正に反対する抗議活動で、2019年6月にデモ隊が警察本部を包囲したことに関与した疑いで逮捕された
香港の抗議の歴史
2014年12月に発生した反政府デモ「雨傘運動」の残党を警察が排除した時、参加者たちは声をそろえて「私たちは戻ってくる」と宣言した。
実際、こうして抗議デモが再び行われていることは全然驚かない。
香港には抗議の歴史がある。
それはここ最近という訳ではなく、もっと長い歴史だ。
1966年には、香港のヴィクトリア・ハーバーで運航されているスターフェリーの値上げをめぐって抗議デモが行われた。参加者はやがて暴徒化し、夜間外出禁止令が敷かれ、何千人もの警察官が街に配備された。
返還後の1997年以来、抗議運動はたびたび行われているが、最近では政治的なものほど規模が大きくなる傾向にあります。
香港人はある程度の自治を持っているものの、選挙では自由が制限されている。
デモは自分たちの声を聞いてもらう数少ない手段だ。
2003年には50万人が参加したデモで安全保障法案が却下された過去もあり、普通選挙権を求めるデモや天安門事件の追悼集会は、毎年の恒例行事となっている。
2014年のデモは数週間にわたって続き、香港人が自分たちで行政官を決める権利を求めていることが浮き彫りになった。
しかし中国政府からの譲歩はなく、このデモも失敗に終わった。
補足
今回の「逃亡犯条例」が通ってしまうと、香港にいる人たちも中国本土の政治批判などをしたら自由に捕まえられてしまうと言う懸念があります。
2019年9月4日、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、「逃亡犯条例」改正案を正式に撤回したと発表しましたが、混乱緩和に役立っても終止符を打つには至らない可能性がある。
まとめ
香港という特殊な土地に住んでみて思うことは、なかなか複雑な話しですが、日本では、こんなにも政治に真剣な若者が何人いただろうと、何度も考えさせられてしまいます。
自分の国に対して、真剣に考える姿勢は見習わなければならないなと思います。
今日も、ブログを読んでいただいてありがとうございます。