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【新一万円札】好きになる!渋沢栄一の偉業を徹底解説

こんにちは、セントです。

今回は、新しく2024年から1万円札の顔になる、「渋沢栄一」氏のことについて徹底的に解説をしていこうと思います。

歴史に詳しい人以外はこう思ったかもしれません。「誰?」と。。

私もはっきりいって全然知らない人でしたが、知れば知るほど凄い人ですごく尊敬して好きになれます。

生まれから、時代の流れまで、存分に「渋沢栄一」氏について知っていきましょう!

出生と年齢年表

まずは、一生を年表でまとめてみたいと思います。簡単な年表じゃ全然収まらない偉人ですが、大きな流れを見てみましょう!

生年月日:天保11年2月13日(1840年3月16日)〜昭和6年(1931年)11月11日)

出身地:埼玉県深谷市生まれ

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。

(13)藍の買い付けを1人で行う
(21)江戸に出て勤皇志士と交流
(23)横浜焼き討ち計画
(24)一橋慶喜に仕える
(26)慶喜が将軍になり幕臣になる
(27)パリ万博の使節団になる
(29)日本初の株式会社設立
  大蔵省入省
(33)大蔵省を辞める
(76)第一銀行頭取を辞める。実業家引退
(91)直腸がんで死去

幼少時代

渋沢栄一氏は、農家に生まれたんですね。

そして、原料の買い入れと販売をする家だったので、小さい頃から家業を手伝い、計算力の頭の良さと、物の良し悪しを見抜く目利きがズバ抜けて優れていたそうです!

愛読書は、「論語」で、中国の歴史についても学んでいた。

学生時代

そして、江戸末期の生まれというのがポイントなんですねぇ。

東京に出て、勉強していた栄一は、世の中のあり方に不満を持ち始めるのです。江戸末期は、「尊王攘夷」という考え方が一般的で、栄一も「こんな世の中ではダメだ」と幕府を倒そうと参画するんですね。

横浜を焼き討ちにしようとしていた栄一でしたが、栄一の従兄弟が計画を辞めろと全力で止めたんです。そして、計画は実行されなかった。

そんなこんなしていたら、友人の紹介から、一橋家の家臣になることになったんです。「一橋慶喜」そうです、のちに第15代将軍徳川慶喜、その人であった。。。

倒幕しようとしていた栄一でしたが、運命のいたずらは面白い!幕府軍に使えることになるとは、、、

そしていつの間にか、幕府の直属の家臣になったんですよねw

そしてここから、渋沢伝説の偉業のオンパレードになっていくのです。

パリ万博

栄一が27歳のときに「パリ万博」が開催されました。この万博は、日本が初めて参加した万博でした。

それまでの日本は、管理貿易(以前までの言い方でいえば、鎖国)をしていたわけです。だから、文化交流も許されてなかったし、日本人の渡航も許されていなかった。

閉じてる300年から、変化をして、外国と文化交流をし始めたタイミングだったわけです。

この、渡航が渋沢栄一を偉大な人物に作り上げていくきっかけになるのである。そのときヨーロッパでみたもので、明治の日本を大きく改造していったのです。

もしも、慶喜に仕えていなかったら、パリ万博に言っていなかったら、今の日本はなかったかもしれない。。。

日本初の株式会社設立

栄一の功績は、パリ万博以降、日本に資本主義をもたらしていったことである。資本主義って今では、当たり前のことですが、それを初めて日本に持ってきたのが渋沢栄一だったんです。

そして、日本初の株式会社「商法会所」を設立したんです。

タイミングとは面白いもので、パリ万博にいっているタイミングで、「大政奉還」が行われ、徳川慶喜は静岡の自宅から外出しなくなっていたんです。

そして、慶喜は栄一に「これからはお前の道を行きなさい」という言葉をかけてあげました。

そこから、栄一はフランスで学んだことを1つずつ実行していったのです。

大蔵省入省

時代の変わり目で、激動の日本ですから、そんなときに「大隈重信」が現れて、国家が大変だからと大蔵省に入省するように説得させられ入省するのです。

渋沢栄一の偉業

  • 郵便制度
  • 廃藩置県
  • 戸籍法
  • 鉄道開業
  • 新貨幣(円)の発行
  • 富岡製糸場
  • 国立銀行条例
  • 地租改正

いやぁ、スーパー人間ですね。ちなみに、「円」と名付けたのは大隈重信だったそうで、BANKを「ギンコウ」と訳したのは、渋沢栄一氏だそうです。

しかし、4年後の栄一33歳のときに、大蔵省を辞めるんです。そこからは、政治の世界にはなるべく関わらないようにしていったんです。

財閥・大企業のオンパレード

33歳に大蔵省を辞めてから、76歳に実業家を引退するまでに、なんと500以上の企業の設立に関わっているんです!

それも、そこらへんの小さな会社ではないんですよ!少しあげてみますね。全部は書ききれませんねww

  • 第一国立銀行(現みずほ銀行)
  • 王子製紙
  • 東京ガス
  • KDDI
  • 東京海上
  • 東京証券取引所
  • キリンビール
  • サッポロビール
  • 帝国ホテル
  • 東急電鉄

これが、ごく一部ですよww本当に凄すぎますね!

そのときの、国のインフラに関わる企業を片っ端から作っていったんでしょうね!

教育にも力を入れていた

渋沢栄一は、日本人にはもっともっと教育が必要なんだということで、大学なども設立しました。

  • 一橋大学
  • 東京経済大学
  • 二松學舍大学
  • 日本女子大
  • 東京女学館
  • 学校法人国士舘
  • 同志社大学

名だたる学校の数々。。いったい、毎日何時間働いていたんでしょうね!いやぁ、凄すぎる(しか言ってない)

社会貢献活動にも注力

さらにさらに、社会事業にも力を入れていました。明治時代にもっとも社会事業に貢献した人とも言われていて、その数なんと600団体なんだそうですww

  • 養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の院長
  • 東京慈恵会
  • 日本赤十字社
  • ハンセン病予防協会の設立
  • 財団法人聖路加国際病院初代理事長
  • 財団法人滝乃川学園初代理事長
  • YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長

渋沢さんが、1000人くらい居たに違いないww今の日本を作った人と言っても過言ではないですよね。

なぜ、今まで紙幣にならなかったのか?

こんなにすごい人ですから、もっと早く紙幣になっても良かったですよね。しかし、今まで紙幣にならなかったのには理由があったのです。

何か悪いことをしていた、とかではありません。

実は、ヒゲが生えていないから

というのが、理由なんですww

今までの、紙幣をみて欲しいんですが、なるべくヒゲが濃い人を採用して、偽造防止に努めてきたわけです。

しかし、女性の紙幣が出るなど、令和になって、その技術が追いついた!そして、いよいよ渋沢栄一の登場というわけである。

まとめ

今回は、新一万円札の顔である、「渋沢栄一」氏の偉業について話をしてきました。

いやぁ、知れば知るほどすごい人なんだなぁと実感しますね。

今まで、よく知らなかったのが恥ずかしくなるくらい、すごい人でした。

先人が残した物を引き継ぐのは、私たちです。



今日も、ブログを読んでいただきありがとうございました。




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