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【中国建国70周年】中国現代史と台湾の関係を徹底解説します

セント

こんにちは、セントです。

今回は、今まさに話題になっている中国建国70周年。この70年に何があったのか?

ニュースとかワイドショーをみて、断片的なことを聞いてもなんだかよくわからない。なぜわからないのか?

それは、歴史がわかってないからなんですね。現代史がわからないと、ニュースがわからない、歴史を学べばニュースがもっとわかるんです。

中国と、周りの色々な国も含め、中国と台湾、香港が密接に関わっているんです。

まずは、中国と台湾の関係から解説していきます。

それでは、お付き合いください。



もともと中国と台湾は一緒だった

昔、中国には清という国がありました。「ラストエンペラー」なんて映画にもなった時代です。それまでは、1つの帝国だったんですね。

その清という国がもう滅びつつあるときに、中国国民党と、中国共産党ができて清政府の打倒戦争が起きるんです。

国民党と共産党が対立する中、日本がやってきて、「日清戦争」、「日中戦争」、「第二次世界大戦」にもつれ込んで行くんです。

そうやって、中国の中だけで争ってたんだけれども、世界との争いになって中国は「第二次世界大戦」の戦勝国になったんです。

そして、日本が持っていた満州、台湾から日本軍が撤退していくんです。

日清戦争のあと、日本は初めての植民地として台湾を統治していたんです。ところが、それも無くなってしまった。。。

国民党と中国共産党の争い

さぁ、いよいよ中国をどうしようとなった時に、国民党と共産党が争うわけですね。

国民党:新しい民主的な政治を作ろう

しかし、軍の権力者たちは腐敗しまくっていた。と言われています。

それを打倒しようとしたのが、共産党です。

えっ逆じゃないの?って思うかも知れないですが、今中国を治める共産党が、その当時は弱い立場で、腐敗している国民党を倒そうとしていたんですね。

共産党は、ソ連のバックアップを受けてどんどん力をつけていきました。

ソ連はいわゆる共産主義(社会主義)。それの中国版を作ろうとしたんです。

負けた国民党は台湾に亡命

力をつけていった共産党に破れた、国民党は日本軍が撤退した台湾に逃げました。そして残った中国を治めたのが、中国共産党でした。

負けた国民党が作ったのが「中華民国」台湾。

勝った共産党が作ったのは、「中華人民共和国」中国。ということです。

なんとなくわかりましたね。

そんな中、中国はどんな歴史を歩んでいったのでしょう。



中国の歴史

まずは主な、中国のトップを紹介していきます。

毛沢東(建国の父)

まずはこの人、毛沢東。北京に一番大きい絵が飾られていて、中国の紙幣「人民元」にも描かれています。

ところが、この毛沢東はいいこともあるけれども、悪いことも多いと言われています。

ソ連の影響を受けて、共産主義を目指していたので、それまでお金持ちが労働者をこき使っていた時代を辞めようという政策でした。

マルクスの資本論から影響を受けた、この考え方は、平等に仕事をして、平等に給料を分けようという理想社会です。

スターリンに憧れた、毛沢東の末路

中国がソ連のやり方を真似て強大な国を作ろうとしていました。

しかし、その時にはすでにスターリンの、この政策は失敗していたんです。

レーニンの後のスターリンが、「みんなで平等に農業をやりましょうね」という政策をしていたんですが、生産性が一気に落ちてしまったんです。

なぜか?

農業は知っての通り、みんな平等に朝8時から働いて、夕方5時に仕事を終わりましょうなんて、単純なものではないですよね。

嵐や、台風が来る、虫がわいてしまったり、動物が食べにきてしまうこともあるわけですよね。

時には、夜中に動物を退治したり、台風から作物を守ったりしなきゃいけないわけです。

自分の畑だったら頑張るけど、みんなの畑なわけですから、みんな「オラの、トマトがぁぁ」ってならないわけですよw

時間外ですからw

こんな風に、全員が少しずつサボり始めたわけです。

そういうこともあって、スターリン的には、大失敗だったわけです。

でも、まさかスターリン様がミスをしたなんて世間には言えないわけです。

世界で初めて、理想の国家を目指して作り上げてきたソビエト連邦が、まさか農業政策で失敗しているなんて言えない。。。

毛沢東とスターリン

毛沢東は、スターリンのような国づくりを目指していたので、同じように農業をさせて、同じように失敗したんです。

そこで打ち出したのが、大躍進政策でした。

大躍進政策

この大躍進政策は、簡単にいうと「イギリスを見習おう」という政策です。

その頃、イギリスは製鉄で儲けていたので、鉄を作ろうという方針に変えるんですね。

農業では失敗したけれども、鉄を作ればいいんだとなったんです。

ノウハウもなく、燃料もないので、森林や果樹園の伐採が始まります。

そして、農業に使っていた道具まで、製鉄に使っていくんです。

鉄を溶かして、粗悪な鉄ができました。

そして、農家は農業に戻れないくらい大パニック状態になったんです。

これによって、一気に貧困化が進みました。


百花斉放

独裁政治を否定するために、人民の声を聞きますよ!という政策です。みんな、政府への不満をいってください。となったわけです。

最初は、聞いていた政府でしたが、最終的には「取り締まれ!」ということになり、意見をあげた人は全員取り締まられる結果となりました。

この政策によって毛沢東は、一旦「国家主席」というポジションを別の人間に渡すことになります。(共産党の党首は譲っていない

そうするとだんだんと、国家主席の人気が高まっていくわけですねw

そこで始めたのが、文化大革命でした。

文化大革命

自分で立てた「国家主席」などのトップは、腐敗しているとして、大々的に引きずり下ろす政策です。

誰を利用したか?これは、学生たちを利用したんです。

若い学生たちに、イメージカラーの「紅」を守る兵隊、「紅衛兵」になりなさいと革命を起こさせました。

毛沢東は、自分で立てたトップが引きずり下ろされるまで、警察に「紅衛兵は一切取り締まらなくていい」という圧力をかけました。

その結果、その時のトップは捕らえられ、死んでしまいます。

その後、「紅衛兵」が邪魔になった毛沢東は、「紅衛兵」は地方にこそ必要なんだといって、「紅衛兵」を地方に追いやります。

そこから、農業をやらせました。

偉大な建国の父である毛沢東という一面とは反対に、おこなった政策については、かなりぼやかされています。



鄧小平

全てを立て直した、超現実主義者「鄧小平」

黒い猫でも、白い猫でもエサを取ってくる猫がいい猫だ

有名な名言です。結果が全てで、国民が豊かになればいいという考え方です。

改革開放

まさに、資本主義を取り入れていくわけですが、商売は自由にやっていいけれども、共産党の一党独裁は変わりませんよ。という流れでした。

これが、「社会主義市場経済」の始まりでした。

この改革開放によって、経済が一気に盛り上がっていくわけです。

しかし、貧富の差が拡大していき、貧しい人の不満が溜まっていくわけです。ここで起きたのが、●安門事件でした。

鄧小平は、あまり表に出ず裏から政治を操るタイプだったので、人々からは「最高実力者」と呼ばれていました。

そんな時に、国家主席が、「実は、鄧小平が裏で牛耳っているから民主化ができない」と、ぽろっとほのめかしてしまったことがあったんです。

天●門事件

不満が溜まりに溜まった、国民たちは●安門広場に集まるわけです。

裏で全てを動かしていた、鄧小平は軍事最高責任者の地位を持っていました。

だから、彼の一声で軍隊を動かしたのです。

民衆が天安●広場を埋め尽くした時に、ついに戦車を出したんです。

そして、多くの人が命を失うという大事件が起きたんです。しかし今でも中国で、この事件のワードを検索しても一切検索に出てきませんw

何度もも書き込みをすると、すぐに連行される。。

さらに都合の悪い歴史は、いくら検索しても出てきません。

政策によって、、、

経済が上向きになったのは、間違いありません。北京五輪を経て、BATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)も生まれます。

GDPも、今では世界第2位です。

そうして、習近平の時代が訪れるわけです。

台湾

いっぽう、台湾ではどうだったか?

蒋介石

日本が今まで統治していた台湾に乗り込むわけです。

でも、人によっては日本人が統治しているよりも、中国人が入ってきた方がいいんじゃない?と思う人もいると思いますが、実際には違ったんです。

日本は、初めて手に入れた植民地だったわけです。だから、台湾はすごく大事に統治していたんです。学校を作ったり、インフラを整えたり、優秀な人材がたくさん投入されたんです。

水道がなかったところに水道を通したり、デパートを作って、エレベーターを作ったり、そういう状態だった。

何もわからない状態で、大陸から入ってきた国民党はそういったものを全部奪い取ってしまったんです。

えっ?日本に統治されていた時の方が、よかったぁという不満が高まるわけです。

二・二八事件

不満が高まったのと、国民党との争いが激化して、起きたのが「二・二八事件」でした。暴動が起きて、その暴動を沈めるために多くの人が犠牲になった。

そういう経緯があるので、台湾は今でも親日なんです。

そして、台湾の外からやってきた人間よりも、もともと台湾にいた人たちの中から選んだ人間の方が台湾を統治できるということで、選ばれてのが「李登輝」でした。

李登輝(岩里政男・いわさとまさお)

21歳まで、日本人として育った。今でも難しいことは日本語で考えると公言している。

今までの一党独裁を問題視したことと、国民の意思を尊重するということから、2つの政策を実行しました。

  • 二大政党制
  • 直接選挙

国民党と、新たに民進党というのを作りました。

2つの政党の主な考え方は、国民党は、もともと中国から来たわけなので、いつかは中国に戻りたい。

中国と関わりを深めていきたいと思っているわけです。

民進党は、どちらかというと、中国と台湾はもう関係ないよね。という雰囲気が強いのが、この民進党です。

そして、国民の直接選挙でトップを選ぼうねっていうようになりました。



台湾と中国

親日で、民主的になった台湾。一方、経済的には大躍進をしたが、一党独裁の強まった中国。というのがわかったと思います。

そんな中、中国のトップになった習近平は何を目指しているのか?

習近平

習近平の目指すところは、「明を取り戻す」ということです。

明ってなんで?ここなんです。明→清→中華人民共和国になったというのは、なんとなく覚えたこともあるかもしれませんが、清の時代は実は、「満州族」が納めていた時代なんです。

そして、今の中国は、80%以上が漢民族と言われています。そして、漢民族が統治していた国が「明」なんですよ。

明の時代は、すごい力を持っていました。そして、中国版大航海時代と言われた中国からヨーロッパまでのルートを実現したいというのが、現代版シルクロード「一帯一路」構想です。

一帯一路

一帯というのは陸路でヨーロッパまでの構想で、一路というのが海路で中国からインドを通り、アフリカまでの海路を全て牛耳りたいというのが、「一帯一路」構想です。

中国国内は、サイバーポリスを置いて、国民のスマホから情報を吸い上げて、顔認証をして、国民に点数をつけて、管理がバッチリの状態です。

さぁ行こう。一帯一路!これが習近平の狙いなわけです。

壮大ですよね!



まとめ

今回は、中国と台湾の歴史についてまとめてきました。

この歴史を知らないと、ニュースを見ても何も入ってこないので、しっかり把握しておきましょう。

今回のこの記事は、もしかしたらサイバーポリスの検閲に引っかかってしまうかもしれません。

そんなリスキーな内容ですが、みんなに少しでも中国を知って欲しいので書きました。

今日も、ブログを読んでいただき、ありがとうございました。




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